ご報告とご挨拶
お世話になった皆さまへ
イエローブレイン及びマバタキ製作所は一旦活動を休止いたします。
13年間沢山の方に支えていただきまして誠にありがとうございました。
休止の理由はいくつも絡み合っているのでうまく説明出来ていないかもしれませんがお話しします。
先ずは3.11以降に“このままではいけない”、“変わらなくてはいけない”と感じた事が大きな理由です。
私は核廃棄物の最終処分が出来なくて未来への負の遺産を残す原発には根本的に反対です。
原発事故を過小評価するべきではないと思っています。
そして今、私は原発事故がまるで無かったかのようにしていく現在の風潮が恐ろしいです。
どうしてそんな事になってしまっているのか?
それは原発という経済を巡る社会構造が、そうした風潮を支えてしまっているからだと感じています。
目の前の利益を提示して長い時間かけて我々の価値観が形成されてしまっているので、そこから抜け出せない現実が横たわっています。
でも私たち自身の事として、原発依存してきたこの現在の社会構造から脱することを努力したいです。
そこで、ふと“自分も同じなんじゃないか?”と言う疑問がわき起こりました。
同じ社会構造の中で以前と同じように働いているだけじゃないかと。
原発辞めろ!と叫んでしまったのに自分が辞められない‥。
そりゃあ電力会社も関連会社も辞められないですよ、今までやってきた事を変えるにはとてつもない痛みを伴います。
会社は作る時よりも辞める時の方が大変だと今、つくづく思います。
走り続ける事が前提で出来ていますので一旦ストップなんて事は出来ないのです。
それでも根本的に価値観を変えて在り方を変えなくてはいけないと自分に言い聞かせて進んでいます。
国がこれほどまでに信頼性がない状況下では個人の自由意志、個人の責任が重要と考えます。
原発依存しなくてはいけなかった社会の検証を、一人一人が自分に出来るレベルでもやらなくてはいけないと思います。
会社としては言えないけれど、本当はこれではいけないと思っている人は多いんじゃないかと思います。
僕は個人として今こそ自由な意志を持つ時なんだと感じています。
このまま変わる事が出来なければ大衆心理はおそらく危険な方向へ傾くでしょう。
大切なものはいつも置き去りにされます。
自分がやってきた映像に関しても、それらの事に複雑に絡んでいると言えます。
映像の今を考えた場合、ポール ヴィリィリオの「戦争と映画」が指し示す延長上に映像産業は未だに位置しているようです。
元々映像産業は戦争に使われる兵器の改良からカメラが開発され、軍事技術の賜物で飛躍的に発展したのです。
映像そのものもプロパガンダとしての使用用途が存在していたため加速して発展しました。
それが今でもその業を背負い続けているんじゃないか?と思ったのです。
映像のある側面ですが、産業として維持する為に巨大企業と結びついて巨額の広告費で進まざるを得ない船に乗ってしまっているのです。
そして広告とは経済の争いの手助けをする受注産業とも言えます。
経済が肥大する欲望と友達になって、社会を支えていると豪語しているのは正しい姿なんだろうか?
今以上の発展を望み続けなくてはいけない仕組みは本当に必要なことなんだろうか?
経済によって世界のバランスが崩壊し得ることは「ダーウィンの悪夢」など様々なドキュメンタリー作品で周知の事実です。
今この時期の日本で、映像が経済戦争のプロパガンダとして広告を支える事は非常に恐ろしい事なんじゃないか?
さらに私のような作り手が無自覚に自らの技術を発揮している事に恐怖したのです。
私の無邪気な時代は終わりました。
もしも自分が映像やデザインの仕事を続けるのならば、私はこれまで以上に慎重にならざるを得ないとしか言えません。
スタッフとこの1年半様々な事を話し合い結論を出してきましたが、次のステップにシフトすることを決意しました。
これまでとは順序を変えて仕事をしていきます。
先ず個々の意思があり、世界を見つめるまなざしがあり、間違う事もあるかもしれないけれどその目で判断して進む。
さらには自らの意志を発信する事を優先する。
ダメな自分や孤独を恐れず、そこから見つけ出せる小さなものを大切にしていきたい。
自分なりのアーティスト宣言でもありますが、本来あたりまえの事かもしれません。
私たちは一旦解散いたしますが、悩み抜いた上でそれでも人が集まって意志を持って何かを産み出そうとするならばそれは素晴らしい事ですので
また皆さんとご一緒出来る事があるかもしれません。
以前から私のようなひねくれ者の考え方に御理解と御協力をいただき、これまでお付き合いいただいた皆様に感謝しております。
金を産み出すかどうかはわかりませんが、生まれ変わっていくつもりですので今後ともよろしくお願いいたします。
2012年 師走
丹下紘希 拝